第1308回 鵠沼の「文化の秋」を楽しむ~鵠沼郷土資料展示室から~
秋と言えば、「文化の秋」を皮切りに、「読書の秋」「食欲の秋」「スポーツの秋」と次々に秋つながりが出来てます。10月も2週目に入り、ぐっと秋めいた気候になってきました。
湘南学園が所在する鵠沼周辺にも、秋のスポットが目白押しです。2つご紹介しましょう。
1つは、鵠沼の秋の風景を代表するスポットとして「鵠沼海浜公園」です。落ち着きを取り戻した秋の鵠沼海岸、そこに広がる「海浜公園」、そこから沈み行く秋の夕日に浮かび上がる富士山、箱根連山そして伊豆の山々のシルエット。何ともこころが癒される絶景といえます。
2つ目には、鵠沼の文化の秋を代表するスポットとして、「鵠沼郷土資料展示室」の展示です。2016年10月1日(土)~2017年2月15日(水)の会期で、「鵠沼・残したい記憶と記録古地図探索・今は無きおもかげ」という特集を組み、現在盛況開催中です。『鵠沼郷土資料展示室だより』(第37号 2016年10月1日発行)によれば、鵠沼の前近代は凡そ次のようになります。
鵠沼は奈良時代には相模国高倉郡(後に高座郡)14郷の1つ「土甘郷(とがみごう)」に含まれ、天平7年に作成された「相模国封戸租交易帳」にはこの「土甘郷」の記録が残っています。また鵠沼とは鵠(くぐい・白鳥の古語)が飛来していたことが地名の由来とされ、平安時代の史料に「鵠沼郷」と記載されているといいます。その後、鎌倉時代には幕府の直轄地となり、室町時代においても関東管領上杉氏、戦国時代には北条氏の支配下にありました。江戸時代になると、幕府の直轄地と旗本布施氏、大橋氏の領地となりました。幕末になると相模湾沿の荒漠な地は、幕府の海防の地の1つとされ、鉄砲場が設けられ、大砲の実射訓練が行われたとのことです。
近代に入ると、明治政府の地租改正により、荒漠地や山岳地を含め全ての村域が測量され、小字の改正、地籍番地の設定が実施されます。その地図「小字名・番地補入全図(明治15年測量時作成)」が、近代に入っての最も古い地図ということになります。その後、鵠沼の近代は、オゾンを多く含む(サナトリウム)治療場として、別荘地として、政府高官や富裕層の別荘地として注目され、明治20年の国鉄東海道本線の国府津までの延長により、また明治35年の江ノ島電気鉄道が開通し、さらには小田急江ノ島線の開通により、街並みは整えられていきます。
こうした近代化が進む鵠沼を「古地図」で追いかけてみる楽しみを、今回の展示で見つけていただくと良いかも知れません。いまは存在しない、かつての古き良き鵠沼の面影は、私たち、地元に所在する教育機関としても記憶と記録を繫げていくという意味において、大変意義ある取組みになるのでしょう。お帰りに、鵠沼・松が岡4丁目の湘南学園もご覧いただけると幸いに存じます。
*「鵠沼郷土資料展示室」(鵠沼市民センター内)
住所:〒251-0037 藤沢市鵠沼海岸2-10-34
電話:0466-33-2001
開会時間:10:00~16:00