コスタリカ留学生レポート「上」①

2017年10月21日

こんにちは
!Hola!

 こんにちは!湘南学園高校の佐藤史明です。僕は今、中南米の国、コスタリカでの約1年間の留学生活を送っています。今、ここコスタリカで自分が見たこと、学んだこと、感じたことを少しでも皆さんと共有しようとこのレポートを作成しました。

 自分は、コスタリカが軍隊を持たない国ということを知って、興味を持ち、留学先にこの国を決めました。日本を旅たって5ヶ月。辛いこと、楽しいこと、沢山ありました。でも、初心忘るべからず…これからも、常に謙虚な気持ちで残された時間を過ごしていきたいものです。では、早速内容に入りましょう!
 
 

コスタリカの基本情報
?Que es Costa Rica?

 

 テレビで、ある芸人さんが「ブラジルの人?、聞こえますかあ?!」と、真下に向かって叫ぶギャグがありましたね。それは、ブラジルがちょうど日本にとって「地球上の真反対」に位置してることを利用したものです。コスタリカはそのブラジルの北。ラテンアメリカにある面積はちょうど九州と四国を合わせたぐらいの小さな国です。自分も飛行機で、一旦、合衆国を乗り継ぎ、20数時間のフライトを経験しました。また時差も15時間と、同じ星にいることさえ疑ってしまうような違いです。おかげでFacebookの「友達が誕生日ですよ」通知もなんと翌日に自分へ来るので、「おめでとう」を言った時には「それ、昨日だから。」と言われる始末。いい経験でした。

 言語はスペイン語。南部アメリカ合衆国及び中米、ブラジルを除いた南米全土の公用語はスペイン語です。(超ザックリで)スペイン語は間違いなく、アメリカ世界の共通語ですが、国により方言のような違いがあります。特にアルゼンチンのスペイン語はイタリア移民の影響?を受け、「ジョ」と言うところを「ショ」と発音するからネイティヴでもアルゼンチンのスペイン語は少し難しいとか。コスタリカのそれもまた他国とは少し違います。よく、友達を呼ぶときは、「Mae ?!」のように「マエ+名前!」と呼び合います。この「マエ!」とは「相棒!」のこと。コスタリカ人同士が仲良しで、いじめが少ないこともこのおかげ?ただ他の国ではMAEは使いませんので、コスタリカだけのスペイン語です。他にも「渋滞」を「プレッサ」と言ったり、(他国ではダムの意)中南米の国々用の違うスペイン語辞書がある、という話も頷けます。ただ、意思の疎通には全く問題はありません。コスタリカでは、よくコロンビアのドラマが放送されていますが支障なくコスタリカの人は理解できます。


本当にデカイ!教会。カルタゴ大聖堂。域内にはバチカンの旗があったりと、コスタリカ国内では、一番位の高い教会。

美しい海を持つリモン湾。あのコロンブスが上陸した所もここ。コスタリカにとっては始まりの場所。先住民にとっては侵略の始まりの地でもある。

自然豊かなグレイシア。少し歩けば、すぐ近くに果物が・・・。コーヒーでも有名。

首都行きの列車。それ以外はバスが主流。ラッシュ時の列車はまさに、人間団子。毎回、「お疲れ様」と言ってあげたくなる。

 季節は雨季と乾季の2つ。それでも地域により気候には雲泥の差が。自分の住む街は、通年15?18度と比較的過ごしやすい。海岸沿いは常に25度?28度の暑さ。気候の違いがコスタリカ統一(昔は国ではなく市の集まり)を遅らせた、と言うのも納得。


コスタリカにある衝撃なもの1弾「メイド喫茶」。コスタリカの新しい一面。

2弾目は「中華街」(門には”中国街”とある。)
奥には店が並んでいる、というわけではないがコスタリカにおける中国の影響力が伺える。

コスタリカの自称SUSHI。明らかにコスタリカンテイズに。やはり、彼らも生魚はあまり好きではない様子。魚の寿司は少ない。

3弾は「味の素」物流の凄さを実感。カップヌードルもあるし、なんとマルちゃんも!キッコウマンの醤油も、海苔も売っていた。

 首都はサンホセ。雰囲気は完全に都会。高層ビルもちらほら。驚いたのは、日本のサブカル浸透。サンホセではアニメ・マンガの祭り、その名も「MASTURI」があったり、日本人よりアニメのことを知っているコスタリカ人は非常に多い。ただ、寿司に関して少し。彼らはあまり生魚を食べる文化がないので、我々が「寿司」というと現地の人は「カルフォルニアロール」しか頭に浮かばない。認識の違いがあるので、たまに寿司をめぐる話が合わないこともある。海外へ行く方は、現地の人が「SUSHI=シャリとネタの寿司」と知っているのかどうかは確認したほうがいい。カルフォルニアロールが日本文化だと間違えて教えてしまう可能性がある。


コスタリカの伝統の朝御飯ガチョピント(赤豆の混ぜご飯)。いつも、卵やパンとともに頂きます。コスタリカ版母の味。

これはアロスコンポジョ(鳥の混ぜご飯)。個人的には一番好き。少し値段は高い。

こちら、電子レンジの選択ボタンたち。お国柄が出る気がする。豆(FRIJOLES)が最初のボタンというところがまさに。

中華がコスタリカで食べられる驚き!麻婆豆腐。店長が確かアジアっぽい顔をしていた。気になるお味は、全く辛くない。

トウモロコシの粉を練って作った生地。トルティージャの上に美味いものをのせていく。左下はプラタノ、黒いソースはあの赤豆。

ホストマザーの実家で出てきたマンゴー。あまりにも普通に出てきたので、日本では高級だと言ったら、ここでは安い果物らしい。

 食文化について。伝統の食べ物というよりは、同じ食文化圏を中南米で共有しているイメージ。コスタリカだけのモノをまだ自分は知りません。主食は豆と米、トウモロコシ。その他は、「何でもうまい飯なら受け入れる」という感じ。日本と同じくマックやサブウェイもあるし、現地の人も「コスタリカ料理」というものはあまり意識していない様子。果物は、温暖な気候もあり常時豊富。さらに安い。巨大パイナップル1個が200円。コスタリカの主要商品の1つ。実は、コスタリカにはバナナが2つある。1つは普通のバナナ。もう1つは、プラタノ(platano )と呼ばれる巨大バナナ。それは主に調理用。ご飯やお肉と一緒に食べる。初めはバナナが2つあることを知らず、プラタノをオヤツとして学校で食べていました。サイズも巨大だし、日本人の自分にはバナナと味は大差なかったし。そこでコスタリカの同級生が、「なぜ、フミ(筆者)はプラタノをオヤツに食べるの?」と言われて、知らなかったことが判明。周りから「調理用バナナを、オヤツに食べる日本人」の称号を頂きました。

 

学校生活
Mi colegio en Costa Rica.


学校の様子。緑と白を基調とした校舎。緑豊かな芝生がトレードマーク。授業後は一斉に生徒が芝生でサッカーを始める。

日本でいう購買。色々なお菓子や、朝ごはんまで買うことができる。個人的に好きなのは、アイスクリーム。品揃えでは、日本より多い。

 自分は私立の学校に通わせてもらっています。コスタリカではある程度お金に余裕があれば、私立へ子供を行かせることが普通だとか。公立の教育への信頼は少しイマイチ。その分、私立の教育は日本のレベルに匹敵することをやる学校もチラホラ。ちなみに自分の学校は中の上ぐらいの難易度らしいです。他の場所にも分校があるなど、標準の私立教育をしています。


コンピュータ室。それほど日本のものとは変わらない。室内は涼しい。社会科の調べ学習他、大学の情報を調べるためにも使った。

校庭の風景。とにかく、芝生が続く。不定期でサッカーの総当たりがある。学校行事も生徒の遊び場も、主にココ。

校外学習は近くの山へ、地層の勉強。目的の山のスタートまで学校からバスで15分ぐらい。山の頂上まで徒歩30分。なかなか良い運動だった。

コスタリカって、本当に犬がいっぱい!犬を見かけない日が無いぐらいに多い。まあ、いつも寝ている姿しか見ないけど。

学校の生徒会長選挙の様子。これは公開討論会。3つの党が存在し、お互いに主張、批判を繰り広げる。聴衆はみんなお祭り騒ぎ。先生がなだめるシーンも。

もちろん自分も投票しました。手元を隠すダンボールは本物の選挙と同じモノ。手前の足は、選挙管理委員の人。

毎週金曜日はジーンズデイ。みんな、私服で登校ができる。その代わり、100円を生徒会へ支払います。そのお金は後で生徒会主催の行事の費用となって生徒に還元される。なかなか、賢いシステム。写真の自分は制服。

英語の授業は実践中心。この日は飛行機トラブルについてプレゼンをしました。見えますか?SATO FUMIAKIの文字が!当日渡された原稿が打ち合わせのものと別物で、超焦った。評価80点ぐらいだった記憶がある。

 コスタリカの学校の朝は早い。自分の学校は1時限目が7時15分から始まる。朝ごはんでゆっくり、はあまりできないのが常識。だから多くの学校の購買では朝ごはんも販売している。雰囲気は、というと都市によって大きく違う。私立、及び首都、旧首都の学校では時間に厳しい。(その他は完全にルーズ。)自分はすでに5回以上も、遅刻を理由に廊下で待たされた。とはいえ、日本の学校よりは断然自由。ケータイの使用、音楽を聴きながらの自習は可。さらに、床に寝ながら先生の話を聞く輩もいる。(私も、その1人だったり、しなかったり…)つまりは「結局、理解してればよい」という感じ。そこの面においては皆さんのイメージ通りかも。さらに日本の学校とは大きく違う点。それは英語の授業。自分の学校は3種類の英語のクラスがあり文学クラスと文法クラスは、ほぼ日本のモノと同じ。ただレベルは圧倒に、こちらの方が高い。シェイクスピアの作品を丸々一本に、彼の詩いくつかを含めた全てが、試験範囲だったりする。3つ目のクラスはlisting&speakingクラス。とにかく英語を話させ、そして聞かせる。自分、最初のクラスの課題は「英語デイベート」だった。少し緊張した。初回のクラス、初めて見る日本人が何をいうのかと周りから注目され、コスタリカ第1の洗礼だと感じた。その他にも、英語で先生へインタビューとか、グループで5つのことについて英語で、議論しましょうなど、母国にはない英語教育に日々、奮闘中です。その他の授業も決して簡単なわけではありません。レベルとしては1~3年遅れぐらい。(ただ高校3年生で、あの受験戦争を戦う東アジア日本、韓国、中国のレベルに追いつくことは決してないでしょう。)授業スタイルは先生によってバラバラ。写経の如く、書き連ねる先生もいれば、単独ライブよろしく話すだけの先生も。


生物の板書。ホメオスタシスの定義は?など、日本と同じ、または少し医学的な内容も。一番板書量が多いクラス。先生の筆記スピードは反則だろ。

数学は数IIIには劣るが、文系クラスの自分には少し応える。コスタリカには文理の分は無い。よって、みんな全教科を学ぶ。

 お昼は校庭と呼ばれるが完全に、「草原」の上でお弁当。学校には電子レンジが用意され、生徒は各自のお弁当を温める。クラスの男子が集まって談笑タイム。その他、購買でもごはんは買える。自分は200円程度のチキンサンドイッチが好き。また毎週金曜日には自分へのご褒美として、アイスサンデーも買ったりする。学生だから値段は安め、というわけではなく普通の価格。ただコスタリカでも、お昼はサイコーのひと時。


昼ごはんの時間には、エサ目当てに犬がよく来る。人間そんな甘く無い、とか言いながら結局エサをあげる。だから、野良犬が多い。犬が大好きなコスタリカ人。

試験日等、昼前下校が出来る日の特権。外でお昼。この日はピザ屋。寄り道については問題なし。自由。

 学校は、午後3時に終わります。先生たちの勤務終わりは午後4時。クラブは音楽部とバレーボール部だけで、ほとんどの人は放課後の運動をしない。おかげで、どの教科より体育の成績が一番良い自分。ただ地域内のスポーツ大会が近くなると、体育の先生を中心に競技ごと臨時の学校チームが作られます。自分も数ヶ月後の水泳大会へ合わせて、スイミングチームに参加する予定。

 

留学生とコスタリカ人
?Que hace Fumi en su intercambio?


到着後、バスで宿舎までの移動。夜のサンホセ。都会な雰囲気が漂う。車も結構多い。コスタリカも、首都は日本とあまり変わらない。

合衆国から、コスタリカまでファーストクラスを偶然体験できた。食べ物が本当に美味しい!CAのお兄さんも、生徒相手によくしてくれた。

到着後オリエンテーションの写真。大切な話の後は遊ぼうと言われ、みんなでNinjya というゲームをした。到着が遅れたため、日本人だけでやりました。

合衆国内空港にあった、看板。NOT WEL-COMEDって…。日本とは違う何かを、この時から感じた。そんな写真。

 まだ、自分も留学中の身。この先、何が起こるかは分からない。正直、毎日が不安と隣り合わせ。しかし、そろそろ留学の半分が終わろうとしている今、自分のコスタリカ留学を振り返ってみようと思います。

 出発の時、成田空港まで2人の友人が迎えに来てくれました。嬉しさのあまり、説明できない何かが心の中でいっぱいになりました。その後、飛行機トラブルで出発が1日遅れ、(航空会社の方がホテルの確保をして下さいました。)映画を2本も観れた長い空の旅を終え、首都サンホセに着きました。AFSのオリエンテーションの後、ホストファミリーと対面。それも初めは、ファミリーの時間の都合が合わず、ボランティアの方のお宅に滞在するというハプニングを挟んで、でしたが。最初は本当に「緊張」の2文字。初めの2ヶ月間で肩がバッキバキに凝りました。


歓迎会も兼ねた、お肉パーティ。多くの人が参加してくれた。コスタリカの人の優しさに触れた1日でした。

ホストブラザーが連れて行ってくれたカルタゴ遺跡。おいフミ、顔がカタイぞ!!まだ緊張していたのか。今では、ここへも1人で行けるようになった。

 ホストファミリーに関して。今思えば留学生にとって重要なこと、それは彼らと仲良くなる努力以上に「他の家族の生活サークルを身に馴染ませること」だと思います。結局、人にはどうしても好きになれない人はいます。仕様がありません。ただその人が持っている生活の規則に合わせて、自分が持てる自由な時間を探すことができれば、なんとなくお互いの生活はカタチになるのではないかと思います。


寿司を作りました。具は、肉ときゅうりと卵。喜んでくれたと思う。でも、こっちの人はマヨネーズたっぷりの方が好きらしい。

カレーライスもコスタリカで作りましたよ!ここでは全く無名の料理。初め「何だこれは!」と言われました。トホホ。最後は気に入ってくれました。3回は作ったかな、これ。

 日本人にとって、大方の留学は辛いものです。英語、スペイン語等、ヨーロッパの言葉で溢れる今、周りの留学生(特にヨーロッパ系)の生徒は早くも2ヶ月又は3ヶ月でネイティヴと会話が出来ます。比べ、日本人は言語の習得に5ヶ月以上かかるでしょう。私もまだ全然スペイン語が聞けませんし、話せません。ただ、ここを乗り越えると楽しいことが増えていく、その初めの半年は耐える期間だ、とよく先輩から言われてきました。日々、その時がいつか来ることを期待して、個人的な努力に励む所存です。


コスタリカMac の様子。制服も雰囲気も大差ない。国を超えた店舗の統一化には驚くばかり。味は、こっちの方が個人的には好き。

これが異文化ショック!!朝マックに、「マックピント」がある。つまり、赤豆の混ぜご飯です。日本で、マック味噌汁があるイメージか?

 コスタリカの街の様子。キリスト教国だけあり、キリスト様・天使様・聖人様グッツで溢れている。テレビドラマも人々の困難を、聖人様がお救いなさる系のモノが多く存在。他には、ポイ捨てに抵抗がない人も多い。よって道は(人通りが多い街の中央は特に)あまり綺麗じゃない。でも、まだ清掃の人がいるからマシな方だと思う。また、道を歩くとよく「CHINA!」と呼ばれる。ここの人にとって、目が細い民族はみんな中国人。ちょうど、日本で外国人がみんな「アメリカ人」と、呼ばれるのと同じ。学校の清掃員のおじさんは、最近まで私の国籍をまだ覚えていなっかた。ホストファミリーが忙しいこと、同級生も最終学年ということだけあり、普段は1人でプラプラすることが多いです。しかし、店にいれば「何かお探しですか?」と言われるし、外にいても「ここの場所知ってる?」とか聞かれるし、歩くだけでも常時ドキドキです。スペイン語がまだできない今の自分には中々ここ、コスタリカの暮らしはスリルでいっぱいです。10回中の8回は、話しかけられたコトが理解できません。その度に、「自分の留学はまだ終われないなあ(汗)」と思うわけです。


ホストファミリーとの写真。地球の反対側からの留学生を受け入れてくれた新しい家族。同じ時を過ごせば対立だっていっぱいある。でもそれを糧に信頼関係を築く。家族とは、不思議な人間関係ですね。

家庭が異なれば、習慣だって違う。日本ではやったことの無いことにも挑戦。違う文化に適応する前に、そこ家族に適応することは、全てに対するデモストレーション。

 家では家事の手伝いか、スペイン語・英語の勉強をします。ひと段落がつくとドラマを見始める、というのが普段の1日の流れです。マザーが働いているので料理はファザーと私が一緒に作るか、シスターが作るかのどちらかです。おかげで、料理の腕も上がった気がします。違う家庭にお世話になる意味。それは「異なる生活サークルを学ぶこと」にあります。予想以上に、自分の感覚は自分の家族の生活に左右される。そしてそれを他の家族のモノに合わせるには、かなりエネルギーがいります。しかし、それは無理なことではない。他文化への理解・適応の助走にもなる、非常に有意義なことです。海外へ行ったことで視野が広がる、と言いますが、それは自分の常識を覆すような現実があり、それへ適応し理解した時、起こる感情です。そして、それはホストファミリーと留学生の関係と同じ次元のことなのです。ホームステイとはただの文化交流にとどまらない、とても重要な何かを留学の中において占めている、不思議な経験。その代わり、留学生が1番に苦しむことが(私もそのように)ホストファミリーとの関係であることは、今の自分にかなりメッセージ性があるものとなりました。

 

しばし、お別れの挨拶
!Hasta luego!

 何だかんだ、元気にやっています。最近は野菜のない食生活にも慣れてきましたし、自分の街のことも少しずつ学んでいます。受験とは関係ない1年間を過ごすこと。それは多くのことを自分に考えさせ、多くのことを学ばせます。そんな今の時間が、とてつもなく愛おしく、大切なものへなっていくのを感じます。
 
 最後の章はコスタリカについて以上に留学に関して、みなさんへ何か伝えられれば、と書きました。蛇足でなければ幸いです。自分の悪い癖、話が長くなってゴメンね。本当はもっと話したいこと、見せたいことが自分の中で止めどなく溢れてきます。でも、それは今度の機会にしましょう。逆に、この長いレポを最後まで読んでくれて、ありがとうございました。自分でもこのレポートを書いている間、考えていた構想や項目が何度か変わりいまいちカタチになっているのか分かりません。ただこの内容で、なんとなく自分が感じたことを素直に表現したつもりです。

 今回のレポート「上」では単純な情報報告に徹しました。しかし、それは私がコスタリカへ来た理由にそくしたものではありません。私はここ、コスタリカが非武装永世中立を宣言している国と聞いて興味を持ち、ここまでやって来たのです。ですから次回のレポートはそれについて、コスタリカの歴史を踏まえ、自分の考察や意見も交え作る予定です。留学をすると普段は考えてもいなかったことで頭がいっぱいになる、と留学をしたある先輩のレポートにありました。違う世界へ飛び込むと、今まで普通であったはずのモノに対して疑問や違和感を感じ始めます。自分も漏れず、その1人なのです。次回までには、自分が考えたことや疑問に思ったことを書けるように考えをまとめ、コスタリカの人からもたくさん話を聞いて、内容を紡ぎあげていきます。それまでの時間を少し私に許してください。自分の留学の集大成をそこで出せるように。

 それまでしばしのお別れです。ありがとうございました。
 次のレポートでもあなたと出会えることを願って。
 !HASTA LUEGO!