2015年度 ポーランド・リトアニアヒストリーツアー4日目
2015年8月20日
4日目になります。
今日は、ワルシャワのいくつかのスポットを巡りました。
最初は、「ワルシャワ宮殿<ヴィラヌフ宮殿>」です。ここは、17世紀末に、ポーランド国王が建てた夏の離宮です。巨大すぎない美しいバロック様式の建物と、見事な庭園をみて、少し優雅な気分になりました。
昼食後、まず「ワルシャワ蜂起博物館」を訪問しました。ここは、1944年におきたワルシャワ蜂起(ナチス・ドイツの支配に対する、ワルシャワ市民の蜂起)についての博物館です。まず、チケット売り場に長蛇の列ができていたことに驚かされました。そして、館内に入った途端に、何ともいえぬ「熱気」を感じました。幾多の苦難を乗り越えてきたポーランドの人々の、先人に対する畏敬の念のようなものなのでしょうか?「この歴史を伝えなければならない」という強烈ともいえる意志をみました。
次に「文化科学宮殿」です。社会主義時代のもので、「スターリンの贈り物」ともいえるこの建物には圧迫感すらあります。30階までエレベーターで昇ると、ワルシャワ市街の四方を見渡すことができます。首都ワルシャワの発展ぶりと、その美しさを実感することができました。
その後、作曲家ショパンの心臓が納められている「聖十字架教会」に行き、教会の荘厳さを体感しました。
最後に、「ワルシャワ歴史地区(旧市街)」を訪問しました。戦火により壊滅した街並みを、見事に復元したものです。ここでも、ポーランドの人々の強さを感じました。
生徒たちの感想を載せます。
<K・A>
今日の朝はワルシャワ宮殿に行った。日本の城とは全然違った。すごく広かった。たくさん、絵や銅像などがおいてあった。世界の色々な物がおいてあって、昔、多くの国との関わりがあったんだなと思った。今では使わない知らない物もたくさんおいてあって歴史を感じた。そのあと、大きな庭園に行ってカモがいた。陸にいて、人にもすごく近づいてくるから国によって生き物も少し変わるなと思った。バラ園の方に行ったら建物の一部を修復している人や庭師さんがいて、こういう人がいるから建物がキレイな状況で保てているんだなと思った。
次にワルシャワ蜂起博物館に行った。ポーランドの子供も蜂起のために動いたり郵便を届けるために命をかけて配達したり、蜂起の時の辛さについて難しかったが少し理解することが出来た。
<S・Y>
ワルシャワ市民蜂起については、民間人が軍隊に反抗したことくらいしか知らなかったが、今日ワルシャワ蜂起博物館に行き、そんなに単純ではないことがわかった。
まず、大きな力を持っている軍隊に反抗したことを尊敬した。その当時、軍が衰退していたことがあっても、自分がその立場に立っていた時、反抗できるとは思わない。さらに、武力の圧倒的な差があったにもかかわらず、自分達の考えを口に出したことはすごいと思う。これは、今の自分達にも学べることかあると思う。
最近、投票率の低下など、自分達の国のことなのに、関心がある人が少ない。前回のアウシュビッツでも学んだ通り、自分の意見を口に出すことから始まると思う。自分にできることは小さくても、いずれ多くの人が協力すれば、大きな力になると思う。今、自分の意見を言うのが怖いのか、黙っている人が多く、とりあえず多数派に行こうと考える人も少なくない。いつでも多数派が正しいわけではないので、きちんと自分で考え、自分で行動することが大事だと思う。
今までの革命や蜂起などは、ほぼ血が流れている。それは、兵士のものはもちろん、幼い子供や女の人のものもある。血を流さずにその当時の体制を変える方法はなかったのか、それを考えさせられた。
行動を起こすことは大事だが、その後にも大事なことがある。ドイツから解放された後のポーランドや、戦争に負けたドイツは壊滅状態である。その時、大事になることが周りの国の支援だと思う。崩壊状態の時、そこから回復するためには、周りの国の支援が大切だと思う。今も、アフリカなどで紛争が起こったり、難民が増えたりしているが、周りの国がしっかりと協力し、助け合うことが大事だと思う。
<T・K>
今日一日を過ごしての感想です。
僕は本日、ワルシャワ宮殿・ワルシャワ蜂起博物館・文化科学宮殿・聖十字架教会・ワルシャワ歴史地区散策を訪れました。
その中で僕の心に一番響いた場所はワルシャワ蜂起博物館です。
その事について書いていこうと思います。
ワルシャワ蜂起博物館はワルシャワ市民放棄について説明・資料展示がしてありました。
ワルシャワ市民蜂起は1944年8月1日から約2ヶ月間に渡りドイツ軍に対して多くの市民が一勢に暴動・反乱などの行動を起こすことを言います。
昨日は「傍観者」の話でしたが今日は「行動者」の話でした。
これにより、なぜ誰もが傍観者側に立とうとしているかという事を僕は学びました。
まず、このような事をなぜしたかというと一つは赤軍の影響により7月30日にはワルシャワから10キロの地点まで到達してたので、ドイツ軍が弱まっていたということです。
二つはポーランド人はナチスドイツに占領され怒っていたからです。
そして、ついに8月1日5時には約5万人の国内軍が一勢に蜂起しました。
これは、今でも 「W」と呼ばれていることから今でもポーランド人の間でとても有名な事件であったことが読み取れます。
僕はこの博物館に行く前はワルシャワ市民蜂起について何も知りませんでした。
このような大きい事件も学校で少ししか扱わないということから、よほど世界中には自分の知らない大きな事件があると思います。
これらを「学ぶ」ことで、今後の生活にも役立ちます。
そして、特に僕が凄いと思った点は「他の国がポーランドに物資を送っていた」ということです。
僕は最初にこの事を聞いたときに、(あー、やはりポーランドに同情したんだ…)と思いました。
しかし、実際は違いました。
この頃ポーランドはドイツ軍に攻められ壊滅的になっていました。
もう立ち直れないと思ったので 支援したのです。
こうすることで、戦後ポーランドに対して強い態度で取り引きができるのです。
もしも、立ち直られたら困るということで空からパラシュートをつけずに落としてわざと壊して使えなくしたそうです。
すると、名目上支援をしたということになるからです。
これには驚かされました。
この時代は他の国の「外人」を「人」としてみてないんです。
少しポーランド市民蜂起とは離れることかもしれませんが、僕はそう思いました。
よくよく考えると最近「外人」を認めはじめていたばかりで、少し前までは日本でも違ったのです。
僕は「人」として「人」を見ることは当たり前だと思っていました。
これからも「人」を「人」として見ない時代が訪れるかもしれません。
その時に「人」を「人」として見ることは重要なことだと思います。
<T・R>
ワルシャワ宮殿では日本とヨーロッパの文化の違いを一番に感じた。遠く離れているとこんなにも何から何まで変わるものかなと驚いた。あの当時の文化がなければ今の文化もないから、ワルシャワ宮殿のように当時のままの状態で保存して、伝えていくことは意味があって大事なことだと思う。
ワルシャワ蜂起博物館では自由を求める運動の中に、アウシュビッツでは感じなかった強さを感じた。圧倒的な戦力差を理解しつつもドイツと戦い、最後まで自由を諦めなかったポーランドの人々の思いがすごく伝わった。
「自由」と言っても今まであまりピンと来ない事があったけど、博物館を見て回るうちにポーランドの人々が色々な権利を奪われていたことがわかって自由の大切さがよく分かった。
十字架協会では、静かで落ち着く場所だなと思ったのと泣きながらお祈りしていた人をみて、教会があることで救われる人が沢山いるんだってことがわかった。
最後の旧市街散策で、今ある旧市街の建物は復元された物だということに驚いたのと同時に完全に復元して元のポーランドの街に戻そうと立ち上がるような、自分の国が大好きなひとが多いんだなと思った。