2018年度 ポーランド・リトアニアヒストリーツアー③

2018年9月3日

4日目の今日は、カウナスのホストファミリーの子どもたちとの遠足です。

バスで2時間ほどかけて、カウナスから北へ140kmほど離れたパクルオジス(Pakruojis)にある、マナーハウス(荘園領主の館)を訪れました。

館内では、リトアニアの歴史や伝統工芸について学びました。

その後、シャウレイ郊外にある十字架の丘へ向かいます。

見る者を圧倒する、おびただしい十字架の数。
リトアニア、というと日本人には馴染みの薄い国かもしれません。リトアニアは、長きにわたってロシア帝国の支配下にあり、第1次世界大戦後の1918年に独立を達成したものの、第2次世界大戦の前にソ連に併合され、大戦中は独ソの戦場となりました。第2次世界大戦後はソ連による厳しい支配を受け、独立を回復したのは1990年のことでした。

ここ十字架の丘の歴史は、19世紀にリトアニア人がロシア支配に対する反乱を起こして失敗したときに端を発します。以来、リトアニア民族の独立、そしてリトアニアの平和のための願いが、長きにわたって積み重ねられてきた場所となったのです。

「あまりの十字架の多さに驚き、そして当時のリトアニアの人々の苦しそうにしている姿が想像できました。」(高校生・男子T)

自らのアイデンティティを徹底的に奪われる、という歴史を経験したことのない私たちにとって、リトアニアの歴史には大きな衝撃を受けるとともに、そこから私たちは何を学ぶべきか、考えさせられる時間でした。

 

その後、フレンケルの館博物館を訪問して、さらにリトアニアの歴史に対する学びを深めました。

 

館をあとにし、夕食へ向かいます。
とここで、言葉の壁をなかなか乗り越えられない日本とリトアニアの子どもたちの親交をより深めるべく、レクリエーション大会が始まりました。

子どもたちは動き回って体をあたためつつ、互いの心の距離をいくらか埋めることができたようです。

「言葉は通じなくても友達になれるのだということを体感できました。」(中学生・男子H)