2018年度 ポーランド・リトアニアヒストリーツアー⑤
6日目の朝は、カウナスのホストファミリーとの別れの朝でもありました。
「出会いがあるということは、別れもある、ということです」
初日は緊張していた子どもたちも、2日間をともに過ごしたホストファミリーとの別れを惜しみました。
「(前日の感想文より)家に帰ると、日本のお土産とリトアニアの有名なものとを交換しました。話が弾んで楽しかったです。(中略)カウナスのホストファミリーとの別れを寂しく感じます。」(高校生・男子T)
またいつかお会いしましょう!
別れを済ませたあと、わたしたちはそのまま、近くにある第9要塞へ向かいました。
この要塞は、19世紀、リトアニアがまだロシア帝国領にあったとき、ロシアが対ドイツ戦に備えて建設した要塞群の一部です。独立後は政治犯を収容する刑務所となり、第2次世界大戦が始まると、この要塞はドイツ軍により強制収容所へと役割を変えました。
部屋の天井の隅に残されていた小さな穴は、ここを通じて上階の仲間と連絡をとるためのものでした。
壁には、第9要塞に収容されていたユダヤ人たちが残した文字が。
自分たちは誰で、どこから来たのか、自分たちの行く末を理解した上で書き残したものです。
ユダヤ人を中心に、およそ5万人の人間が第9要塞で亡くなったといわれています。数字だけを見ると、そこで尊い人間の命が失われた、という実感を得づらくなってしまうように感じます。
一人ひとりに家族があり、友人があり、人生があり、未来への展望がありました。
要塞内の地下壕。薄暗さと肌寒い風が合わさって不気味です。
「第9要塞は正直本当に怖かったです。でも、当時収容や、つかまっていた人たちはあんなに寒い中ずっといたんだなと思いました」(中学生・女子O)
地下壕を抜けると、一面の緑。要塞の一部はこのようにして隠されていました。
子どもたちが腰かけているのは、トーチカの跡です。足元の隙間から敵を狙い打ちました。
ユダヤ人が虐殺され、投棄された穴があった場所にたつモニュメント。
「アウシュビッツとなんら変わりがなく本当に残酷な歴史の残る場所だと感じました。中は、ひんやりとしていて、悲しい歴史を物語っているような雰囲気がありました」(高校生・女子T)
その後、カウナス市内にある戦争博物館を見学し、
ここまで案内してくれたジギマンタスさん(7月まで日本に留学していたそう!)に別れを告げ、次の目的地、ドルスキニンカイへ向かいます。
ドルスキニンカイは、カウナスから南へおよそ120kmのところにある町です。
豊富な湧水と澄んだ空気、美しい自然を持つ、古くからの保養地です。
バスで2時間ほど揺られたあと、ドルスキニンカイに到着。
新たなホストファミリーとなってくださる、アドギミモ小中学校の皆さんとの対面です。
ドルスキニンカイでは、リトアニアの自然や伝統に親しみます。