第998回 ひとりっ子がごく少数派だった時代
最寄り駅からの通学路に、鮮やかなランタナの花を見かけます。色とりどりで“七変化”と呼ばれるほどの特性を持ち、11月の晩秋でもしっかり咲いていて、とても長持ちする花です。
今日は「ひとりっ子」をテーマにして述べてみたいと思います。在校生に尋ねてみても、いまや「ひとりっ子」は多数派といえることに気づきます。兄弟姉妹がいないことで引け目を感じるといったことはほとんどないのかな、と思われます。
私はひとりっ子で育ちました。上に兄がいたのですが幼くして亡くなり、戸籍上は次男でも純粋に独りっ子で育ちました。きっと手塩にかけて過保護に育てられたことでしょう。
当時はクラスでもひとりっ子は圧倒的に少数派でした。“やーい、ひとりっこ!”と嘲笑されることも普通にあったと思われます。信州育ちで、自分も虫取りや野球やグラウンドを使った外遊びが中心でしたが、友だちと遊べない日は家で外で“ひとり遊び”をしていました。いない相手を設定して空想の世界に遊ぶこともありました。
幼稚園時代の写真を見ると、大部分の園児とは独りだけ違う方向を見ている自分を見つけて苦笑したりします。集団行動は苦手の方でしたし、“やっぱり僕の性格は独りっ子だから”と自覚する場面が、成長するおりおりにいろいろとありました。クラス替えして“今度のクラスで独りっ子は何名いるかな”とふと意識したこともあったように記憶します。
時代は変わってメジャーになりました。中国では「一人っ子」が国策になりました。少子化の流れは先進国に共通となり、日本では出生率が年々下がって、二番目、三番目のわが子を持つことを躊躇させるような社会や経済の動向がはっきりしていきました。
そしていまやこのままでは日本社会は人口の減少、少子化と高齢化にはどめがかからず、社会や経済の規模は縮小して、共同体の活気はどんどん衰退してしまうとの危機感が顕著になり始めています。
自分自身は二人のわが子に恵まれましたが、これからの若い世代が結婚や親としての人生にもっと希望と意欲を強められる社会にしていかなければならない、と最近切実に思います。将来の社会を担う次世代の人びとに、複数の子どもでも希望すれば安心して持てるようにしていきたいと願うものです。
家庭科の授業はもちろん、中高6年間の一貫教育の全体で、そのような課題意識も共有していけたらと考えています。