第1035回 遠い高校時代をふりかえる ①
合唱コンクールは明後日にせまっています。
中高のどのクラスも最後の追い込みの練習に燃えています。朝も放課後も教室や校内のあちこちで、声を合わせ、話し合う光景が見られます。パートごとの特訓、指揮者・伴奏者とリーダー達の打ち合わせなどにぎやかです。この期間には独特の熱い空気が全校に流れます。音楽の二人の先生方は様々なアドバイスと励ましで多数のクラスを巡回しています。
これまで数多くの高校生や中学生と出会ってきました。
かつての自分の時代の体験でも、参考になることがありましたし、時にはずいぶん変化して困惑することもありました。今回は、自分の高校時代の体験から大事に考えていることを少し述べてみたいと思います。
私は東京郊外の都立の共学校で高校時代を過ごしました。私服で生活し、自転車で通学できる利便に恵まれました。
当時は1学年9クラスあり、「3年間クラス替えがない」という稀なしくみの高校でした。まず思い出される学校行事は学園祭です。秋の高3までクラス参加があり、“浪人してでも第一志望の大学に行く”という雰囲気(実際に現役進学率は約3割)がありました。三年間クラスの「劇団」を掲げ(同じ垂れ幕を3回掲げた)、当日は劇や歌やクイズなどで一日を構成しました。下手な脚本を作って演じた楽しさ、その準備で夜遅くまで燃えた思い出は強烈です。
勉強は忙しく、英語や古典で成績抜群の同級生を見上げる思いでした。数学はまずまずでしたが、理科諸科目には悩みました。
当時はフォークソングやニューミュージックの黄金期で、ギターを弾ける級友が過半数でした。自分で作詞作曲してカセットを交換するのが流行っていました。歌もギターも上手い級友や、クラシック音楽にやたら詳しい級友に引け目を感じながら、手ほどきを受けました。
部活は中学の続きで卓球部に入りましたが、トレーニングがきつくて退部し、社会問題を調べるクラブに入り直しました。
コンプレックスの裏返しで、“どこかで秀でたい、目立ちたい”という思いは強かったと思います。そんなのも反映して、高2の時に中国語の勉強を始めました。日中が国交を回復して急速に付き合いが広がる明るい時代でした。テレビとラジオのテキストを毎月買い、もう一人の友達と競うように音読しました。教室で会話スキットをやり合って“おおっ!”という周りの反応を受けるのに、ささやかな優越感があったようです。英語の勉強が遅れて半年後に中断しましたが、大学時代にはこの貯金が生きました。
これもクラスメイトの影響で、小説をたくさん読むようになりました。夏目漱石や太宰治、白樺派の作家達、大江健三郎や石川達三など、月並みですが文庫文に親しみました。
一方で、大学受験を意識しながら、自分の中ではもっと長期的な問題意識も芽生えました。自分の性格や傾向に劣等感や不安も強い中で、それは切実な悩みでした。(明日へつづく)