昨日は成績処理と教員の会議で生徒休校の扱いでした。今日は午前が家庭学習(成績処理)で、午後からの登校を受けて試験返却・解説が行われます。本日の通信は、先週土曜日の高校卒業式の様子についてご紹介いたします。
湘南学園のスクールライフ。その最後の節目にあたる高等学校卒業式が本校のアリーナで実施されました。
一人ひとりに校長として卒業証書を授与しながら、すっかり大きく立派に成長された姿に深い感慨がこみあげました。皆出席賞授与は1年間、3年間に続き、中高6年間が11名いました。更に小中高12年間の皆勤賞が3名もいました。小原一真君、日野慈恩君、野川桃花さんです。ひときわ盛大な拍手がわいたのはいうまでもありません。この偉大な達成の背後にお母様方を始めご家庭のお支えがどれだけあったことか、時には無理して頑張った本人の努力はいかばかりかと思うと、今回も涙の流れるのをこらえられませんでした。
在校生代表・高2松本篤彦君の送辞を紹介します。生徒会の総務委員をずっと務めてきた立場から、先輩方は年齢は1歳しか違わないのに落ち着いた雰囲気で常に前向きに取り組み、コミュニケーションを大切に下級生をリードして着実に実行されていたと述べました。夜遅くまで意見や悩みを聞いてくれた先輩を見習って今度は自分たちが後輩の手本にならなければとの自覚を深めたそうです。生徒会活動を引退後は学内や電車の中で黙々と勉強する先輩達の姿に接して熱い思いを感じ、伝統ある湘南学園を自分達がつないで更に誇れる学校にしていけるように努めていきたいと述べてくれました。
そして国際化が進む一方で先の見えない時代の中、先輩達はどんなつまづきや壁にぶつかろうとも、学園で培った力と想い出や誇りを胸に、建学の精神を呈して「自分を見失わない気高さと実力」を持って日々精進し、納得できる未来を築いて頂きたい。私達も憧れだった先輩達に近づけるよう新たな一歩を踏み出そうと思います、と力強い感謝と決意の言葉を述べてくれました。
卒業生代表・寺部藍さんの答辞を紹介します。自分の周囲の全ての人達への感謝の思いで貫かれた答辞は、素晴らしく胸を打つ内容で私は涙が止まりませんでした。高3学年会の先生方の中には、号泣に近い教員もいたと聞いております。入学時には想像も出来なかった6年後の卒業式にとうとう臨んで、切々としたメッセージが始まりました。先生方へは、私達の夢や目標の達成をいつも第一に考えて下さったこと。本気で叱り、励まし、相談にのって下さったこと。どれだけ救われ、頑張ろうとの気持ちになれたことかと謝辞がありました。
ご両親への感謝の言葉は圧倒的でした。産んでくれ育ててくれたことに感謝し、もっと成長して自立できる日がきたらと必ず恩返しします、との決心が語られました。後輩のみんなへは、進路や受験の悩み、苛立ちや悔しい思いをすることはいっぱいあるけど、それは自分が一生懸命の証だから、それぞれの目標へ向かって進み続けよう。私達が部活や行事で充実した日々が送れたのは後輩皆のおかげでもあるからとし、周りの人との時間を大切に一度きりの学園生活を過ごして下さい、と語りかけました。そして6年間を共に歩んできた大切な友達へは、毎日交わす挨拶やたわいもない会話まで貴重なものだっと振り返り、一生懸命取り組んだ部活動や企画から運営まで主体となれた学校行事で励まし合い、指摘し合い、共に乗り越えたこと。時には全部投げ出したいと思う日もあったけど歯をくいしばって頑張る友達に刺激されて、今日という素晴らしい日を迎えられた、と謝辞がありました。
この先は各自の進路は異なり、新たな環境と出会いがあるけど、仲間それぞれが自分の夢や目標に進んでいると思えば必ず力が湧いてくるから、途中で諦めずに地道な努力と積極的な姿勢を忘れずに自らの人生を切り拓いていこう。次世代を担う私達が今よりも「明るく平和な社会」を築いていけるよう日々の努力を惜しまず、湘南学園の卒業生として誇りを持って一歩ずつ前へ進んでいきましょう、と語りました。最後に全ての方々への感謝を述べ、湘南学園が今と変わらず明るく和やかな場であること、その更なる発展を卒業生一同お祈りします、と結んでくれました。
バレーボールの部活で全力投球して鍛えられ、学校行事でもいつも活躍していた寺部さん。さわやかですてきな彼女の答辞はアリーナを感動いっぱいに満たしてくれました。
今回は特別表彰の「学園長賞」の対象者があり、バスケットボール部で県の代表選抜選手など大活躍した志賀なつみさんが受賞しました。卒業生記念品は実用性の高い「掲示板」を頂戴いたしました。また今回も卒業生からの提案により6年間の学園生活の想い出をたどるスライドショーが大スクリーンに映され、多彩な青春の1コマ1コマをたどって感慨深い力作でした。
例年通り吹奏楽部の演奏と、生徒会総務委員のサポートも受けて式が運営され、最後は会場を去る卒業生と学年教員を見送る拍手が続きました。その間、卒業生達が学年の先生方の前を通り過ぎる際は今回は30分以上も交歓の場面が続きました。女子も男子も多数の諸君が泣き、語り合いやハグで列がなかなか進みませんでした。ブラスバンドの皆さんは本当に大変でしたが、長い年月の関わり合いの中で深まった絆の深さを示す感動的な場面でした。
その後、クラス毎に記念写真撮影、そして最終のHRがありました。クラブごとの送別会なども毎年恒例になっており、長時間の和やかな会がいろいろと盛り上がったようです。毎年多数の卒業生諸君がこの日に合わせてお祝いに来てくれるので本当に感心するばかりです。カフェテリアも開業して下さり、多数の卒業生と保護者に祝い膳を召し上がってもらい、くつろいで頂きました。
夜の「卒業を祝う会」も盛大でした。祝辞・乾杯に続いてバンド演奏、スライドショー、ダンスショー、オタ芸、サプライズタイムなど多彩な余興も披露され、「旅立ちの日に」の歌では会場の全員が、生徒諸君は腕を組んで万感の思いで歌っていました。先生方のスピーチもありました。終了後も卒業生諸君、保護者の方々との懇談の輪が夜遅くまで楽しく続きました。
挟間様を始め、学年委員を中心に保護者の皆様方には、この祝う会の準備と運営のために大変なお時間とご負担をかけてご尽力頂きました。素晴らしい会で締め括ることができて、心から謹んでお礼を申し上げます。
最後に、卒業式における校長式辞を、今回もご紹介させていただきます。
卒業生の皆さん、ご卒業、おめでとうございます。保護者の皆様、お子様のご卒業、誠におめでとうございます。本日の、湘南学園第63回高等学校卒業式には、学校法人を代表して、理事長の辻様、PTAを代表して、PTA副会長の種子島様、同じく近藤様、そして全学を代表して、仲本学園長先生、以上の方々のご列席を頂いております。謹んでお礼を申し上げます。
卒業生の皆さんと湘南学園との関わりは、6年間、あるいは12年間、14年間の長い年月にわたりました。先ほど皆出席賞の授与を行いましたが、今回も中高6年間を皆勤した人が11名、さらに小中高12年間を皆勤した人が3名もいました。本人だけでなく、お母様やお父様も合わせてこの場で表彰させて頂けたら、と切に思われました。保護者の皆様、長きにわたってのお支え、本当にご苦労様でした。
さて、卒業生の皆さんの学年は、全体として和やかで穏やかな雰囲気や、お互いにオープンでフランクな雰囲気が印象的な学年でした。
学校行事はもちろんのこと、クラブ活動を最後まで頑張りきって、数々の成果や活躍を示すことができたクラブが多かったことが思い出されます。私自身も文化部の顧問をしていますが、この学年の部員諸君は熱心で後輩思いで、本当に頼りがいのある最強のメンバーに恵まれていた、と感謝しています。
また生徒会活動では、高校2年の時に「学外活性化部門」が提起され、通学路マナーの向上週間など各種委員会でも画期的な取り組みを始めてくれました。中学時代にはややおとなしい印象もありましたが、高校時代にはめきめきと個性を発揮し、自己主張や提案力を高めて成長が著しかった学年であったと振り返っています。
そして大学受験へ向けて、指定登校期間にも大勢の諸君が登校を続けました。仲間と励まし合って自習に励む諸君が多く、学年の先生方はセンター試験の両日も現地へ激励に行き、個別の質問対応や小論の指導、面談などで精一杯の寄り添いに努めてきました。卒業生諸君と先生方の絆は一層深まったことでしょう。
現時点においては、皆さんの立場には違いがあります。第1志望の大学や専門学校に合格して心はずむ人たち、まだ大事な発表を待つ人たち、そして今回は届かずに来年の春へ向けて捲土重来を期す人たちに分かれています。
この差は今は大きいですが、人生はその先がずっと長い道のりであることはいうまでもありません。人生の大きな方向を決める重要な岐路がいくつも待っています。
さて、来週の水曜日は「東日本大震災4周年」にあたります。被災地の現状を伝えるべく、最近放映されたあるドキュメンタリー番組の内容の紹介から、始めにお話をさせて頂きます。
『笑顔で生きる仮設住宅~震災4年・岩手県陸前高田』というNHKの番組です。陸前高田も大変な被害によってその地名は全国に知られました。復興の建設工事が進む中、今でも約4000名の方々が仮設住宅で暮らしています。その中の1つ、市内の中学校の校庭にある「米崎中学校仮設住宅」が番組の舞台でした。
現在も約200名の人達が入居しており、近隣の高台に建設中の公営住宅の完成を待つ世帯もあります。この人達の満面の笑顔が印象的で、秋の町民運動会でも結束力の高さが地域で話題になっていました。それはなぜかが取材のテーマでした。
仮設の横に作った集会所を拠点に、住民の皆さんは様々な活動を始めていました。定期的に開かれる「健康サロン」では、血圧測定をしながら談話がにぎやかです。“ここへ来るといつもはじけるの”と笑顔いっぱいです。「防犯隊」「美味しい野菜作り隊」「人生ベテランズクラブ」など4年間に15のサークルができて、交流の輪が広がりました。自治会会長の金野廣悦さんは、始めにカラオケの集いを呼びかけて大成功したそうです。今では毎週金曜日に居酒屋も開かれて盛り上がっています。
茶道教室も生まれました。師範の菅原紘子さんは自宅が大震災で全壊し、教室も蓄えたお茶の道具も全てを失いました。それが今では30人以上が集まって初心者から稽古をつけるようになり、“また喜んでもらえて、ここが今では一番楽しい場所です”と語ります。体調に不安が増して、宮城県の娘さんの所へ引っ越しが決まりますが、中学校体育館でお茶会を開き、更に仮設の自宅も整えてお弟子さん全員との盛大なお茶会を笑顔で終えます。また指導に来て欲しい、と乞われて、“ここにいて幸せだった。楽しいことを精一杯やれた”と述懐されるのです。
中学3年生の熊谷龍之介君も主役の1人です。震災後の夏に入居してすぐ89世帯全てのお宅を訪ねて挨拶し、“ラジオ体操を毎朝やりましょう”と提唱した少年です。友達2人と毎朝の体操をリードし、参加者には「出席カード」を用意して可愛いシールを貼りました。常連のおばさんが体調を崩して休むと、年賀状で再びの参加をお待ちしていますと丁寧な一筆を届けました。デイサロンの中心となって動いている石井和子さんはその手紙を宝物にしていました。
本人の高校受験を控えて自宅の再建と引っ越しが決まり、一家の「米中仮設卒業を祝う会」が開かれます。惜しまれて声援をいっぱい受けた龍之介君は“みんなに優しく接してもらって大きな家族のようでした”と語っていました。
彼はその後も新居からラジオ体操に通いながら、“後継者探し”を始めます。体操のつながりを断ちたくないと、次世代の担当者を決めるのも自分の役目だと動いたのです。二人の小さな後輩が名乗りをあげ、朝寝坊と戦いながら頑張りました。その一人・小学生の吉田愛斗君は、目覚まし時計を4つもかけてラジオ体操へ行きます。茶道の会場のお掃除では率先して行動し、“人が困っている時はお互い様だからね”と恥ずかしそうに話していました。
リーダーの金野さんは“千年に一度の津波だったけど、仮設の出会いも一度のものだから後悔や悲しみばかりにしたくなかった”と語ります。始めは“その日暮らしで何もやることがなく、先のことを考えると不安ばかりで眠れない人も多かった”けど、“仮の暮らしには目標や楽しみが必要だ”とアイデアを出し合い、班長会議を重ねました。「米中仮設文化祭」では各自の趣味や特技を生かしていろいろな作品やパフォーマンスが披露され、毎回の「卒業送別会」では出る人も送る人も涙が出るけど、新たな幸せに向かう仲間を想い出と励ましいっぱいに送り出しました。
「仮設を元気に卒業しよう」を合言葉に楽しい住民活動を続ける人びと。仲間意識を深めながら日々の暮らしを充実させる生き方に接して、恵まれた環境にある自分の生き方を問いかけられる思いになりました。
ここで卒業生の皆さんに提起したいことは、「楽観主義」の生き方を目指そう、ということです。「様々な困難に直面しても、将来に対して前向きな見通しをつけられるような考え方や生き方」を心がけることです。
予期せぬ事態やつらい出来事と向き合って対処するために「楽観主義」という認知スタイルや人生観は大切なものです。ビジネスの世界やスポーツの世界で超一流と認められる人達にはこの生き方が共通しているものです。どん底や挫折の経験もプラスに組み込んで、“希望”という灯りを絶やさずに大きな目標を掲げて歩んでいけることが、すごい人達には共通しているのです。
人生という長い旅を深く味わい、楽しみながら進んでいくためにも「楽観主義」の姿勢が必要なのだ、と凡人の私も自覚することが多くなりました。
皆さんは「青年」から「大人」へと向かい、坂道を登る時代にあります。社会との関係やつながりの中で自分という存在を確認し、自分の価値や持ち場をつかんでアイデンティティを確立していく時代です。仕事や伴侶との関わりに手応えや親密性が生まれると人生はぐんと充実したものになっていきます。しかし一方で大事な人との離別や失恋、不適応や転職などつらい体験にも直面しやすい時期です。それらも全て統合してより盤石な幸福を確立する課題に向かっていくのです。
現代の心理学の世界では、「病理モデル」から「幸福モデル」へと比重を移す動きが広がっているそうです。アメリカの指導者の一人、セリグマン教授の例を紹介しましょう。教授は30年以上にわたって鬱病の研究をしていました。病が原因で極度の無気力に陥った自分の父親に接して「学習性無力感」の研究にも入りました。ところが対象者の中には、どれほど失敗やストレスに直面しても立ち直りが早い人がいることに気づきます。失職・失恋・病気・離別などの体験で絶望のまま塞ぎこむのでなく、再起して幸福をつかむ人がいる事実に着目して、教授はオプティミズム、楽観主義の研究へ、やがて「ポジティブ心理学」の構築を目指すようになりました。教授は講演で「心理学は人の短所と同じように強みにも関心を向けるべきである」とし、「普通の人びとの人生をより充実させること」に比重を置きたいと論じます。冷戦後のアメリカ社会では、激しい競争と個人主義や自己責任論の強まり、家庭の崩壊などから精神を病む患者が激増しました。人間本来のポジティブな感情に焦点をあて、それらを伸ばす方法を探りたいとの志向は切実なものでした。それは不安や閉塞感、悲観的な傾向が強まりやすい今の日本にも当てはまるのではないでしょうか。セリグマン教授は幸福感の条件として、「楽しく愉快な人生」「物事に打ち込み没頭できる人生」「有意義で意味のある人生」をあげています。
また人類的な見地から今後の心理学は「民族紛争の解決」という課題にも貢献すべきであるとも論じています。
人間の潜在力や可能性に目を向けた概念である「レジリエンス」という言葉が注目されています。“逆境を跳ね返す回復力”とも訳せる言葉です。つらい出来事に対する見方を転換し、人間としての賢明な知性や強い生命力を高めていく方策です。子どもや大人にレジリエンスを育むトレーニングも重視されるようになっているのです。
卒業生の皆さんは、湘南学園で様々な学習や体験や交流を重ねてきました。人間力豊かな皆さんです。たった一度の自分の人生を愛おしんで大切にするように、きっと揺るぎない幸せを築くように、強く呼びかけます。いつか信頼するパートナーにめぐりあって愛を育て、職場や地域では新たなつながりを自分から積極的に広げ、社会の進歩に貢献する人生をどこかで歩んで頂きたいです。
自分の能力や持ち味を発揮できるポジションを息長く地道に探しましょう。人生のルートはふとしたきっかけからも拓けるものです。どうしても上手くいかない時にはルートの変更も出来ますし、希望を修正したり、挫折や失敗も糧にして、新たな展望を拓いていけるものです。「これで良かったんだ」という振り返りが出来ることや、自分がたどってきた道のりを肯定して統合することが、きっと大事になるとお伝えしたいです。
日本は今後も、少子高齢化や人口の減少、格差と貧困、社会や雇用の流動化など厳しい現実に直面していきます。しかし持続可能な温もりのある社会の再建を目指す動きも広がっています。尊敬すべき人びとの努力と新たなつながりに目を向けながら、自分らしい人生の主役になっていただきたいです。
この春から、または次の春から皆さんを待つキャンパスライフは、全国レベルの新たな出会いに満ちた楽しい時代です。この貴重な時代に力を蓄えて、いずれ自分の生活と仕事の拠点をつかんでください。
縁あって出会った人びとに広く思いやりを届けられる人間になって頂きたいです。周囲の人達への心のこもった挨拶や、気になる人への勇気ある声かけが大事なことです。ふだんの自分の振る舞いこそが出発点です。
また困難な時こそ学び続けることが重要です。大変な仕事、新たな重責、人間関係に悩む時には同僚や友人や先輩の助言を求めましょう。自分の抱える問題を相対化して課題を発見するには読書も重要です。語らいや書籍から知恵と光をもらい出口が見つかることもたくさんあります。
皆さんには今後は同窓生として、あとに続く後輩のために様々なお力添えをお願いいたします。80周年記念館と学園カフェテリアを気軽に利用して集まって下さい。学園のカフェテリアは在校生や卒業生の保護者が中心となり、学園生の健康と成長、食育の進展を願って手作りで運営される、大きな志を持った施設です。「成人の日」を迎える2年後には、先輩達と同様に「成人を祝う集い」をカフェテリアで開いて頂きたいです。
今後、学園は様々なお力に依拠してグローバル教育を始め、新たな課題にも取り組んでいきたいと思います。皆さんのご協力を様々な場面でお願いすることは間違いありません。いずれは保護者や教員として母校に戻ってくる人達も出てくることを期待しています。湘南学園は、皆さんの大切な母校であり続けたいと思います。
それでは皆さんどうかお元気で! 以上で私からのお祝いの言葉といたします。