第1254回 本物のリベラルアーツ教育とは
昨日のつづきです。今回でまとめたいと思います。
米国のリベラルアーツのような教育は、グローバル社会で活躍する人間を育成するために必要不可欠であるとよく指摘されるようになりました。国際ビジネスで働く日本人にもリベラルアーツを学ぶ機会が保障されるべきだとまで主張されていることに気づきます。
特に米国の名門校には、世界各国から意欲あふれる若者が大勢集まって切磋琢磨しています。必然的に将来につながる人脈やコミュニティーが形成されます。
その中で誰もが母国を強く意識するようになり、その社会や文化について改めて深く考えるようになります。祖国を通じた自身のアイデンティティを確立し、将来にわたる自分の人生やミッションを構想するようになっていくことが期待されているのです。
日本の大学における様々な専攻分野は、「文系」と「理系」という大まかな枠組みで分類されることが一般的であり、大学受験へ向かう高校の指導でも「文理選択」という節目を通じた進学指導が深められてきました。
ただし欧米と日本では学問体系や専攻分野の分類に違いがあります。「アート」と「サイエンス」に基づく分類との違いに驚くことがあります。米国のリベラルアーツはそうした学問体系の入口に位置づけられています。
リベラルアーツの目的について、第一人者の研究家である麻生川静男先生は、「世界各地の文化のコア・根源をしっかり把握することによって、自らの人生観と世界観を築いていくこと」とされていました。そのために自分が納得するまで徹底的に考えぬく気概が大切だと説かれています。
戦前の旧制高等学校でもリベラルアーツの発想にもとづく教育が行われていたことが想起されます。
リベラルアーツでは、古今東西の学問の成果を探究する自由な学びが大事になります。ある疑問が新しい学びにつながり、また新たな疑問が他の探究へと向かわせます。
読書が読書を、対話が対話を呼びながら知識や認識が統合され、文化のコアが浮かび上がってくる、そんな学びのあり方が大事だと説かれていました。
そうした観点に立つと、中高一貫教育における生徒達の成長にとっても、そうした学びの主体性がとても重要ではないかと気づかされます。
生徒それぞれの自発的な探究や能動的な読書を励まし、保証しながら指導することがこれから大事になっていくことでしょう。
本校が着手したESDのカリキュラムづくりや指導の改善において、そうした観点も大事にしていけたらと考えています。