第501回 95年間の軌跡~ある偉大な人生に学ぶ

2012年7月9日

 先日、NHK教育テレビである再放送の番組を観ました。「こころの時代」というインタビュー中心の60分番組で、この4月に95歳の長寿を全うされた小宮山量平氏の特集でした。「童心ひとすじに」というタイトルです。
 お名前だけは存じ上げていましたが、その人生の軌跡や人生観にふれて深い感銘を覚え、ぜひ紹介したいと思い、取り上げさせて頂きます。

 小宮山量平氏は、第二次大戦後に出版社の「理論社」を創業し、児童文学などで優れた編集・出版活動を続けた人物です。氏が編集した山中恒『赤毛のポチ』、灰谷健次郎『兎の眼』・『太陽の子』、大石真『チョコレート戦争』などの名作はわが家にも在ります。無名だった数々の新人作家が、小宮山氏のサポートを受けて次々と優れた児童文学を生み出しました。
 晩年は故郷の長野県上田市に戻り、自ら自伝的小説などを執筆するともに、駅前に開設した『エディターズミュージアム』を拠点に寄稿や講演活動などを続け、地域の文化活動に貢献しました。

 小宮山量平氏は、3歳で母親を、10歳で父親を亡くしています。世界恐慌の時代に、家業の酒屋は破産して一家は離散し、祖母のもとで育てられました。それでも「12人兄弟の11番目」で家族が多くて賑やかで、楽しい想い出が多かったと氏は語ります。
 小学校時代、担任の柳沢先生の紹介した児童雑誌『赤い鳥』のファンになり、詩など文学や童謡など音楽に親しみました。大正デモクラシーの風潮と子ども本位の信州教育に感化された量平少年は、小5の時に上京してある財界人の家に仕え、その蔵書をどっぷり読みこむ幸運に恵まれました。
 働きながら夜間中学を卒業し、労働運動にも参加した後、東京商大(現一橋大学)に進学し、そこで生涯の友人達を得ます。就職後すぐに軍隊に召集され、陸軍少尉としてアッツ島の戦いで日本軍が玉砕したのを受けた、キスカ島撤退作戦で危険な輸送も指揮しました。

 敗戦を迎えた小宮山氏は、焼け野原となった東京に立ち尽くし、「祖国喪失」の強い感情の下で、その再興のためにどう生きるかの自問自答を重ね、理論社を創業します。米ソ冷戦と国内政治の対立が深まる中で、当初は評論分野を主にしましたが、昭和30年代以後は大人よりも子どもに眼を向けるようになり、創作児童文学の世界に重点を移しました。
 「新しい世代が日本語で考え、日本語を守り、祖先の文化を受け継ぎ、語り合える世界を生み出す」ために、自立的な人間の誕生を目指して、次の世代に豊かな内面を育む児童文学の登場を応援し続けました。
 出発作となる『つづり方兄妹』に出てくる「お正月」(野上房雄作)という詩への感激を小宮山氏はよく語られるそうです。以後も児童詩の出版活動を支援し、“子どもから学ぶ”視点を究極に深めた、灰谷健次郎氏の作品の出版には特に力を入れました。広範で多彩な出版の軌跡には、たとえばTVドラマとして有名な『北の国から』の刊行もあります。晩年には「良寛さんの清貧の思想」に改めて着目し、出版界の斜陽化を心配しつつ、“希望”をテーマとした新たな小説の執筆に着手していました。

 それでは小宮山量平氏が、強い意志でリードしてきた我が人生を、どのように受けとめていたのか、また私達にはどんなメッセージを届けたかったのかを、次回まとめて紹介したいと思います。(明日に続く)