第1384回 人生で大切なこと

2018年7月6日

ゴールデンウイークが明けたころ、大学生が参加するアメリカンフットボールの試合中に、ある選手が相手チームの選手に危険なタックルをした、という出来事があったことは、とても衝撃的な話題として連日報道されましたので、みなさんもよく覚えていると思います。

「誰がやったのか?」から始まり「誰が指示したのか?」そして「誰の責任なのか?」と様々なことがいろいろな場所で語られましたね。私もこの出来後には注目をしていました。

湘南学園の卒業生で、この危険なタックルをした選手と同じキャンパスに通っている大学生がいます。彼に、その出来事について尋ねてみました。

「あの出来事について大学の学生諸君たちはどう見ているの?」

その卒業生はこう語ってくれました。

「当時、大学は結構大変でした。報道関係者が大学に来て、いろいろな学生に意見を聞いたりしていました。でも、その選手が記者会見をして謝罪したことを、キャンパスの学生みんなが評価しています。」

…私は、本当にうれしくなりました。ほっとしました。
…私は、その選手のことが少し心配だったのです。「その後、大学で孤立してないだろうか…」など。


日常、ニュースを見ると、本当にいろいろな出来事があります。そして、いろいろな人が謝罪するのを目にすることがありますね。その中で、例のアメリカンフットボールの出来事の当事者となる選手の謝罪会見は多くの人々の心を打ったのではないかと思うのです。

みなさん、なぜこの選手の謝罪会見が多くの人々の心を打ったのだと思いますか?
私は、このように解釈しています。

彼は、ずるい計算をしなかった。それに尽きるのだと思います。自分の選手生命や将来性、人生のチャンスといったことを考えて計算をしたりしなかったのだと思うのです。

「謝るべきだから謝る。」彼の心の中は実にシンプルだったのだと思います。
「正々堂々と勝負をすることが真のスポーツマンなのではないか」、と常に自分に言い聞かせながら生きてきたことが証明された瞬間だったのではないかと思うのです。

生きる上で大切なのは、自分の非を潔く認め、それを改めていこうとする素直な心である。

私たちが学んだ教訓は、そういう清らかなものだったのではないかと思うのです。
自分が悪いと思ったら、ごめんを言おう。本当は感謝しているのなら、素直にありがとうと言おう。それができるようになったら、きっと自分の心が軽くなる。明るい気持ちが持てるようになる。私はそう思うのです。