第1404回 友と繋がる合唱コンクール
2019年1月23日(水)、鎌倉芸術館において第29合唱コンクールが行われました。今年の合唱コンクールは、インフルエンザ流行の影響で直前まで学級閉鎖となるクラスもある中で実施されました。当日も体調が整わず、参加できない生徒も多数いました。
私は、平成3年1月に本校における第1回目の合唱コンクールが実施されたことを、今でも鮮明に覚えています。当時私は29歳。とにかく合唱コンクールに夢中でした。合唱コンクール当日の舞台に上がらないだけで、私はクラスの一員のような気持ちで毎日の練習に加わっていたのです。
クラス合唱は、「歌いたい」と「歌いたくいない」が同居するところから始まります。意識の違いがあるわけですから、「衝突」や「対立」が起こってしまうものです。
合唱委員の生徒諸君やパートリーダーたちは、クラスをまとめるのに苦労をすることになります。しかし、ここで「やっぱり若者って素敵だなっ・・・・」と思う出来事が起こるのです。
なんと「歌いたい生徒」が「歌いたくない生徒」を理解してくれるようと動き出してくれることがあるのですね。
「君には、歌いたくないという気持ちがあるのだね‥‥」と、寄り添う…。
すると・・・・なんと今度は・・・・「歌いたくない生徒」が「歌いたい生徒」に寄り添って・・・・ということが起こるのです。
その状況を見ていると、涙が出るような気持ちになるのです。クラス合唱にはそういう素敵な瞬間が訪れるのですね。「自分とは違う感じ方だってあるんだ‥‥」「自分とは違った願いもあるんだ…」と、友人を認めようとする彼らの目には「素敵な若者のあたたかみ」があるのです。
湘南学園の合唱コンクールには、友と繋がる素敵な瞬間があるのですね。
さて、もう一つ。素敵なことがあります。
それは、生徒と先生のつながりです。
今年は、「花は咲く」を選んだクラスがありました。このクラスの担任の先生は、合唱コンクールの1週間前くらいのところで学級通信を発行し、クラスの生徒諸君にメッセージを送っていました。
「・・・・だから、この歌は亡くなった人の心からのメッセージとして語られる部分がたくさんあります。自分の人生には苦しみや対立、自分への嫌悪、いろいろなことがあったけれど、今は『ただ懐かしいあの人を思い出す』ばかりだ。『あの人』は愛おしい人の事なんでしょうね。亡くなった彼・彼女は、自分はもう何もできないけど、自分は『愛おしい人』のために、そしてその人と命の繋がりの中で生まれてくる人のために、何が残せたのだろう、と自問するのではないか。自分が愛おしいと思った人の様に、命をつないで生まれてくる人たちも恋をする。そうした人のつながりの中に私も生きていたんだ、と。これからもそうして生きて行ってほしい、と。・・・・」
この先生は、このメッセージを「私の勝手な解釈」と前置きをして、この先生としてのこの歌に対する考え方をクラスの生徒に伝えました。
・・・・そして、合唱コンクール当日(このコンクールでは、自分のクラスの歌を披露する前に、自分たちでマイクを握り、クラスの合唱に対する思いを語ってから演奏をする、ということになっています)。
このクラスの合唱曲を紹介する役割の生徒からは、聴衆に向けて、
「何のためのこの歌を歌うのか。どのようなことを考えながら聴いて欲しいのか」
というメッセージが語られたのです。そのメッセージは、とても思いのこもった素晴らしいものでした。またその思いは、担任の先生がクラスの生徒に学級通信で伝えた思いと似ていたと私は感じたのです。
「先生は、ステージには立たないが、生徒と一緒に歌っている…」と、感じたのです。
素敵な時間が流れていたと思いました。
友と、そして先生と繋がる合唱コンクール。
これは、私が湘南学園で30年務めてきた中で、もっとも好きな行事の一つです。
生徒にとって大切な合唱コン、私たち教師にとっても大切な宝物なのです。
こうした素敵な伝統が、いつまでも続くことを願っています。