第1438回 1月8日の朝礼
新年を迎えた1月8日、生徒諸君が学校に戻ってきました。当日の朝礼では、中村哲さんについてお話をしました。
中村哲さんは、1946年に九州の福岡で生まれました。
こどものころ、昆虫が大好きだった中村さんは、原色日本蝶類図鑑を隅から隅まで読みました。この図鑑の著者が九州大学の先生だったことから、中村さんは農学部に進んで昆虫の勉強をしたいと考えたのですが、当時、大学に行くことは特別なことだったので、昆虫の勉強をするために農学部に行きたいといういことは許されないだろうと考えたのですね。親に賛成してもらうためにも、人の役に立つような仕事に就くためにと、医学部への進学を考えたのです。
27歳のころから中村さんにとって、日本での医師としての生活が始まります。これは10ほど続きます。
その後中村さんは、パキスタンのペシャワールに渡ります。ここで6年間の間、ハンセン病の患者を診ることになります。当時、現地では、医師の数が少なくなかったにもかかわらず、ハンセン病患者を診ようという医師が少なかったことから、彼はこの道を選ぶわけです。
その後、彼はアフガニスタンの無医地区へと向かいます。ハンセン病が多いところにはマラリアや赤痢など他の感染症も多発します。山村無医地区に診療体制を整えたいと思ったのです。
ここで、中村さんを取材したある記者の言葉を紹介します。
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「餓死とはどういうことかを、アフガニスタンで中村哲に聞いたことがある。
何週間も食べる物がなく、飢えに苦しんだ末に衰弱して死ぬというイメージが餓死にはあったが、医師として中村がアフガニスタンで見てきた餓死は違うと言う。
『人がどうやって餓死するかというと、まず、食べ物がまったくないわけではなく、足りなくて栄養失調状態になる。そして飢えを紛らわすために不衛生な水をたくさん飲む。その結果、赤痢などの感染症に罹り、脱水症状になる。そして死ぬ。これがアフガニスタンでの餓死の典型。』
中村の診療所には、いつも患者が長い列を作った。
『ハンセン病を特別な病気として扱うこと自体、間違っていると悟った。それは先進国の発想で、マラリア、赤痢など感染病の巣窟(そうくつ)でもあるアフガニスタンでは、ハンセン病患者を特別扱いなどしていられなかった。ハンセン病はそもそも感染力が非常に弱い。私の診療所では、ハンセン病患者を一般患者と同じように扱うようにした』
中村のアフガニスタンの診療所には、いつも患者が長い列を作った。遠方からやっとたどり着いたのに、外来で列をなして待つ間にわが子が胸の中で死亡・・・、途方にくれる母親の姿を見ることも珍しくなかった。」
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ここで、中村さんは決意します。
もう病気の治療どころではない。
実際、病気のほとんどが、十分な食料と清潔な飲料水さえあれば、防げるものだったわけです。10年ほど、アフガニスタンでの診療所での医師としての活動から、水を何とかしようという行動へと大きな転換をすることになります。
その後、中村さんは、現地の人々と協力をしてたくさんの井戸を掘ります。1600もの井戸です。
もともと農業国であったアフガニスタンは、かつては食糧自給率が100%近くだったのですが、砂漠化の進行で農地が激減したのです。これを中村さんはなんとかしたいと考えたのですね。
砂漠地帯となったところに用水路を作ろうということになって、2000年ごろから約10年間かけて、現地の人々と協力して25キロメートルに及ぶ用水路を完成させたのです。ひどい旱魃によって難民となるしかなかった人々が、この用水路の完成によって、再び自分たちの住む場所に戻ってくることができるようになったわけです。
井戸も用水路建設も医療の延長線上のものなのです、と中村さんは語っていました。
アフガニスタンの人々の生活の中にしっかりと腰を据えて、現地で暮らす人々の命を見つめ続けてきた中村さんは、何を見つめていたのでしょうか。12月4日に不幸にも殺害されてしまったのですが、これから先、何をしようと考えていたのでしょうか。失われてはならない命でした。
さて、話しは中村さんが日本の病院で勤務をしていた時のことにさかのぼります。
当時、中村さんは、患者さんから「生きることの意味感がないのです。先生は、なぜ生きているのですか・・・」と問われるのですが、自分でも分からない・・・と感じたのだそうです。しかし、その後の中村さんのパキスタンやアフガニスタンにおける彼の行動そのものが、生きる意味を模索した結果なのではないか。私にはそのように思えてなりません。
みなさんにとって、生きる意味とはどのようなものですか。
どのようことをすれば、与えられた命を思い切り燃焼させることができるのでしょうか。
一年の初めにあたり、我が人生の目指すものについて考えてみようと、皆さんに言いたいのです。