第1444回 2月13日の朝礼
この日の朝礼で、2019年11月の新聞に掲載された17歳の高校生の投書を紹介しました。
これは、毎日毎日受験のためにボランティアや資格試験のことを考えなければならないことに違和感を覚えたある高校生が書いたものでした。
一心不乱に勉強して受験を乗り越えてもやがて社会にでたらパワハラや過労など毎日ひどい目に遭いながら死んだ目をして職場の向かうのではないかと、明るい気持ちになることができないでいる様子が伝わってくる・・・・そういう投書でした。
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(以下、生徒諸君へのお話)
一心不乱に勉強して大学などに進学、そしてやがて就職。しかし、その職場できっとひどい目に遭うのではないか・・・この投書の主は、大きな不安を感じていように感じました。
今の努力はそんな辛い未来のためにあるのか・・・・
今の努力は幸福につながるのか・・・・
そもそも幸福ってなんだ?
幸福の定義とはなにか?
お金なのだろうか?
でも、お金をたくさん稼げる仕事に就いたけど、その仕事に自分の人生の時間をたくさん注ぐ価値を見出せなかったらどうなのか
反対に、大して良い暮らしができるわけではないが仕事が楽しくて仕方がないというのはどうだろうか・・・
君は、将来進む道を考えた時に、どのようなことに重きを置くのだろうか。
真の幸福とはなにか。
アフガニスタンで命を奪われた中村哲さんの人生を、君たちはどのように見ていますか。
彼の一生を単純な一言で表現することはできない。しかし、間違いなく価値のある、そして意義のある人生の時間を過ごしたのだと多くの人が感じているのではないでしょうか。
中村さんだけではない。昨年の秋に朝礼で話題にした君たちの先輩たち・・・。大学に行かずに料理人になろうとフランスに渡ったA君も、クラシックバレエを極めようとスイスへ、やがてプロのダンサーになるためにニューヨークへ渡ったBさんも、「これをやってみたい!」「自分はこうするべきなのだ!」という決意や衝動があったのではなかろうか。自分ならできる、自分は今やるべきだ、そう信じて毎日を突き進んできたのではないかと思うのです。
まず、自分の価値や可能性を心から信じる。
「これなら自分にもできる」から始める。
夢中になって毎日が過ぎていく。
幸福な人生というものは、そういうものなのかもしれない。
私は、時々「先生は教職に就いてよかったですか?」と聞かれます。
躊躇う(ためらう)ことなく「よかった」と私は答えることにしています。
ただそんな単純なものじゃない。良かったのかどうなのか・・・・、それはあとで考えることだからです。
振り返れば、この36年間は苦しかった。とにかく辛かった。泣きたくなることの連続だった。でも、やめようと思ったことは一度もなかった。
好きで選んだ世界だったからです。
仲間にも恵まれた。学園の先生たちはいい。良いと思えない同僚が一人もいない。最高の仲間たちと一緒に学校という現場で夢中に過ごすことができて幸せだった。そういう時間を与えられて生きることができたことに感謝しています。
これから社会に出ていく君たち。君たちを待ち受ける職場がブラックなのかどうなのか、そんなことはやってみなければ分からない。間違いないことは、夢中になれるような人生のテーマを見つけることができた人は強い、ということです。
この投書の主に私は伝えたい。あなたは本当に清らかな心を持っている。それだけですでに素晴らしい。そして、社会に出たら、正解のない問いに対する答えを探し続ける苦しくて辛い、しかし、だからこそ最高に幸福な時間が待っている。
いいですか、みなさん。
まず、自分の良いところを見つけてほしい。
まず、自分のやってみたいことは何かを考えてほしい。
そしてそれができるようになるための実力を身に着けてほしい。
夢をかなえるための手段が大学進学であったり、留学であったり、料理人になるための武者修行であったり、それはなんでもいい。失敗をしたら・・・・と恐れることはないのです。うまくいかなかったら、やり直せばいいだけです。過去を反省する素直な心さえあれば人生は何とかなる。
一心不乱に努力した先に、自分の人生のテーマを掲げることができさえすれば、そこで君を待っているのは地獄などではない。投書の主に私はそう伝えたいのです。